ある浪人

2002年6月3日
ある浪人がいました。
とある理由で旅を続けるその浪人は、ひとつの宿場町で声を掛けられました。
話掛けて来たのは、宿場で揚げ屋を経営している女主人で、自分が抱えている女郎に旅の話を聞かせてほしいとのことです。
もとより娯楽の少ない時代。しかも町の外に出ることが出来ない女郎たちに、せめて空想の中だけでも楽しんでほしいと願う女主人に、浪人は快く引き受けました。

ぶつぶつと文句を言いながら、それでも女郎たちは女主人の顔を立てるために集まって来ました。
女主人に紹介され、柔かな笑顔で挨拶をする浪人に、女郎たちは口々に以前話にきた奴らがいかに追い出されたかを説明します。
ヒワイな言葉を選んで掛ける女や、あからさまな嘲笑、不満、文句が室内に渦巻きます。
浪人は頭を垂れ、女たちの言葉に一言も返せません。

次の日も、またその次の日も、浪人は女郎の前に座って頭を垂れ、一言も話しません。

女郎たちは、浪人を女主人の間男だと決めつけます。
男日照りの女主人が、名目を設けて間男を引き込んだとかんぐります。
女主人は黙って浪人の様子を見、女郎たちの言葉を聞くだけでした。
女郎たちはそんな二人の様子に、ますます激情にかられて浪人を非難します。
話をしにきて話さないのは、話すことが何もないからで、ただ飯を食べるだけの乞食ではないか。
女郎たちの言葉は辛辣でした。

この時、女主人がはじめて口を開きます。
「このお方は、あなたたちの腰帯を一人で洗ってます。薪を切ってます・・・ただ飯を食べているわけではありません」
浪人とはいえ、一人の武士がする仕事ではありません。
浪人は、話をしていない代償として、それらの仕事を買ってでていたのです。
女郎たちは黙りこみました。

翌日から、女郎たちの姿が少しづつ減っていきました。
話をしない浪人に、付き合うのが疎ましくなったのです。

そんなある日、一人の女郎が着物を縫ってきました。
浪人の姿が余りにもみすぼらしかったからです。
すると、一人、また一人と、手にした包みを差し出しました。
室内に気恥ずかしそうな笑いが起こりました。
そんな中、浪人がようやく顔を上げ、口を開きました。
「ありがとう」
その真摯な一言に、女郎たちは声を偲ばせて泣きました。

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